今日の覚書き、アイヌ。

・東北北部と北海道では、5世紀前半まで同じ形式の続縄文式土器が使われていた。しかし7世紀になると、東北北部では、同時代の北海道で使われていた続縄文土器ではなく、弥生式土器の流れをくむ土師器を使うようになる。本州から九州まで幅広く使われていた土器だ。同時代の古墳文化が流入した証であり、それに応じて集落遺跡や考古遺物も変化する。つまり、すでに「蝦夷征伐」の前に、東北北部にはいわゆる開拓民、移住者が入り、様相がかなり変わっていたということになる。