続縄文時代、北海道の3世紀以降の分化。

・余市町のフゴッペ洞窟では、1〜4世紀ごろの岩に描かれた刻画が見つかっています。小樽市の手宮洞窟で見つかったものも、かつては「古代文字」と言われることもありましたが、同じ刻画だとわかりました。しかし、この岩面に刻画をえがく文化がどこからきたのかは謎のままです。


・続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)は、北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて、擦文文化が現れるまで続いた時代で、続縄文文化に対応する。縄文時代から引き続くものとして山内清男により名づけられ、実際に連続する要素は多い[1]。 南部に恵山文化、中央部に江別文化、その終末期(5 - 6世紀、古墳時代中期から末期)の北大文化など、内部には地域と時代により異なる文化が含まれる(Wikipedia抜粋)